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東日本大震災から10年大災害時の事業継続を考える

この10年(2011~2020年)は、1,000年に一度の大震災から始まって、最後の2020年は新型コロナウイルス感染症のパンデミックで明け暮れた。その間にも、台風や豪雨の被害が各地で起こり、その都度、100年に一度の災害とも言われた。地球温暖化の影響もあって、人知を超えた自然の猛威は、今後も地域を問わず断続的に襲いかかるものと思われる。
いまや、大地震に対する備えだけでなく、広い範囲で災害を捉え、その危機管理体制の構築や、事業継続計画(BCP)の策定などを進める必要に迫られている。
そこで、「3.11」から丸10年を迎えるにあたり、ビルメンテナンス業界および企業が解決すべき課題を考えたい。ビルメンテナンスの課題として、平時において危機に対してどう備えるか、危機が発生したときどう対応するか、復旧に向けて何ができるか。また、業の特性として、得意先の施設における対応や、事業存続に向けた対応、従業員の安否確認、同業・異業種間の連携なども考える必要もある。
本特集では、震災被災地のビルメンテナンス企業から当時の状況を聞くとともに、ビルメンテナンス企業がどのようにBCPを作成し、災害に備えればよいか、わかりやすく解説する。

東日本大震災の被害状況
宮城県ホームページ「東日本大震災 宮城の記録」から

M9.0 国内観測史上最大規模の大地震発生

平成23年3月11日14時46分。

三陸沖を震源とする国内観測史上最大規模のマグニチュード9.0の地震が発生。震度4以上の揺れは2分以上続き、宮城県栗原市では最大震度7が観測された。宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県37市町村で震度6強が観測されたほか、東日本を中心に北海道から九州地方にかけての広い範囲で震度1から6弱が観測された。本震後24時間以内に発生した余震は、マグニチュード6.0以上が46回、マグニチュード5.0以上が254回と、過去の地震と比較しても非常に多く発生した。

この地震による震災は「東日本大震災」と命名された。

太平洋岸に大津波襲来

地震により発生した津波は、北海道から沖縄県にかけて太平洋沿岸に押し寄せ、すさまじい勢いであらゆるものを押し流した。宮城県石巻市鮎川で8.6m以上の津波が観測されたのをはじめ、東日本太平洋沿岸では想定を超える非常に高い津波が観測され、観測史上最大規模の大津波となった。

宮城県の沿岸北部のリアス式海岸では、海岸から内陸へ津波がかけあがり、沿岸南部の平野部では内陸へ数キロメートルにわたり津波が押し寄せ、河川を遡上した津波が氾濫し、県土の約327km2が浸水した。そして、津波火災、多数の孤立者や孤立地域を発生させた。

甚大な被害の発生

東日本大震災は、東北地方の沿岸部を中心に甚大な人的・物的被害をもたらした。道路は亀裂、段差、陥没が生じ、広範囲に冠水やがれき等が堆積し、橋が流出した。また、大津波は県内沿岸部を走る在来線を脱線・流出させ、仙台空港も土砂、がれき、自動車等が散乱した。港湾では、防潮堤、航路、岸壁、臨港道路等の主要な港湾施設が被災し、地盤が沈下した。さらに、県内全域が停電するなど、電気、ガス、水道などのライフラインも甚大な被害を受けた。行政機能を喪失した自治体もあり、被害状況の把握、救助・救援活動、安否確認など困難を極めた。

最大時32万人が避難

発災当初、事前の指定の有無によらず多数の避難所が開設された。沿岸部では、地震や津波により指定避難所が使用できず、ホテル、神社、お寺、幼稚園、民家、パチンコ店の駐車場など、安全で屋根のついているあらゆる場所が避難先となった。内陸部でもライフラインの途絶や不安を抱える人達が避難所へ避難した。避難所は、厳しい寒さの中、度重なる余震や津波への不安を抱えた多くの人が身を寄せ合った。

通信途絶

発災直後、通信規制が実施され、津波による通信建物の損壊や電柱の倒壊、伝送路の損傷等に加え、大規模な停電が発生したことにより、通信事業者のサービスが停止した。平日の昼の時間帯の発災で、学校や職場など自宅以外の場所で被災した人も多く、また、津波による被災により、家族とはぐれ、救助後の移送先が別々の場所になる中、長期間にわたる通信の途絶や輻そうなども影響し、県民が家族や知人等の安否を確認できない状況が続いた。

食料等の物資不足

多数の避難者の発生に加え、備蓄倉庫の被災などが重なり、市町村では食料等の物資が不足する事態となった。県内では、店舗の休業が相次ぎ、営業している場合でも購入制限が設けられた。輸送基地となる県内の空港の被災、道路の寸断などにより県内外等からの物資供給ルートが限定され、物資等の到着までに時間を要する中、食料等を避難者同士で持ち寄り、分け合い、避難所間で連携・融通し合いながら対応したところもあった。

深刻な燃料不足

仙台など9製油所のうち6製油所が稼働停止。また、東北・関東地方の太平洋側の油槽所全てが稼働停止または出荷不能状態となった。さらに、サービスステーション、タンクローリー車なども被災し、東日本全体の燃油供給能力が激減したため、県内全域が深刻な燃料不足に陥った。ガソリンスタンド前には一般車両が長蛇の列をなし、行政機関等の車両であっても給油待ちや給油制限が設けられるなど、入手困難な状況が続いた。燃料の需給状況は、発災から18日後の3月29日に回復したが、状況が落ち着くまでには約1か月かかった。

1,223万トンの災害廃棄物

大津波は、家屋をはじめ、家財道具、自動車など、県民の多くの財産を奪い、土地は津波によって流された様々なものが混在する大量の廃棄物で覆われた。沿岸市町では、公園、グラウンド、公民館など市町内の数十か所に仮置場を設けたが不足し、災害廃棄物は山積みされた。仮置場では、粉じんの発生や悪臭など公衆衛生上の問題、夏になると自然発火による火災も発生した。宮城県の災害廃棄物の処理は、震災から3年かかり、1,223万トンが処理された。


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2021年3月号より

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